ちょっとネガティブな話題になるけど、あえて触れておこうかな?
オリンピックの小山田圭吾の騒動について。
自分もいじめ被害の経験がありますし、オリンピックって舞台や理念を考えたときには当然ありえない選考だと思う。
騒動の中snsはその記事ばかりになり見ていて凄く辛かった。
いじめってのは一生心の傷に残ることなんだなってことを痛感しましたし、その傷と一生向き合わなければいけないんだろうなってことを改めて痛感しました。
一方で、記事になったのは26年前。
小山田圭吾の存在は当時から知っていたけど、いじめの記事のことは今回の騒動で初めて知った。
そのいじめの内容はグロテスクすぎるなって感じはしたけど、一方でどういう経緯でその記事が載ったのか、そしてなぜ当時はそれほど騒がれなかったのか、そこか凄く疑問に残る。
確かに四半世紀となれば時代背景は違う。
当時はコンプライアンスって言葉はなかった。
それでも・・・だ。
あれだけグロテスクな内容をメディアに載せて、それでも何も騒がれなかった。
当時はネットもなかったから一般人が声を上げることはできないにしても、それを取り上げるメディア、週刊誌あたりは取り上げてもおかしくない、そんな内容だと思う。
いじめってのは言葉が凄く軽く感じることもあるのですが、犯罪って扱いになれば事情は違うと思ってる。
小山田圭吾の内容は明らかな虐待ですし、いじめが犯罪として扱われないから延々と起こる。
例え少年であっても悪いものは悪いと教えるべきだと思うし、いじめをしてもそれに対するペナルティが軽いからいじめが減らない。正直、警察にもっと動いて欲しいと感じてるし、いじめに対するペナルティが重いものならやすやすといじめに走らない。
個人的には厳罰化って言葉は好きじゃない。
世の中から寛容さが失われているのも事実。
でも、悪質ないじめに対してはもっと厳しくしてもいいと思うし、特に子供は身を守るノウハウが少ないから世の中が全力で守って欲しいと思ってる。
そのためには、いじめは犯罪って扱いにすべき、だと思う。
生きづらさJapan