一般的な幸せは一定のビジョンがある。例えば、学校でいい成績を残したり、部活で活躍したり、一流企業に就職してバリバリ働くとか、幸せな恋愛をして結婚するとか、可愛い子供に恵まれて一家団欒の日々を過ごすとか。とても分かりやすい。
だが、生きづらさには多様性がある。このサイトにも載っている通り、ひきこもり・不登校・毒親・障害・セクシャルマイノリティ・金銭的問題・DVや家庭内暴力・いじめ…羅列が難しいほど様々な生きづらさがある。しかも複数の生きづらさを抱えているケースだってザラにある。
思うに、生きづらさに多様性があるなら、幸せにも多様性が必要なのではないだろうか?人がそれぞれ違うように幸せもそれぞれ違う。そういう視点が重要なのではないだろうか。
社会に出なくても、友達がいなくても、パートナーがいなくても。
誰から見ても分かりやすい「幸せ」ではなくても。
「一般的な幸せ」ではない、その人なりの幸せを見つけて実現する。そしてその行為を肯定することは、生きづらさを抱えていない人の窮屈な「幸せ」観をも緩めるのではないだろうか。
そのためには、自分にとっての幸せが何なのかを考えていくことが大事だと思う。
叶わない望みが出てくるかもしれない。でも、自分なりに折り合いをつけて、落ち着ける場所が見つかったなら。
どんな人生だろうが、それは「幸せ」なのだと思う。
生きづらさJapan