生きていれば、悩み事は必ず出てきます。そんなとき、一人しかいなければ、どれだけ孤独でつらいことでしょう。
自己責任論が大手を振りすぎている現代、依存それ自体が悪いことのように言われていますが、適度な依存は必要です。それも依存先が1つではそれがなくなったときに怖いので、あればあるほど良い気がします。
餅は餅屋、という言葉があります。例えば、ひきこもり当事者は、まずひきこもり当事者や経験者と話すのが、同じ苦しみを分かち合える可能性があります。一方で、少し元気になって余裕がでてきたら、ほかの生きづらさに目を向けてみるのもいいと思います。
そこで、疾患は違うけど同じ症状に悩む人からよい対処法を知ったり、生きづらさに対する視野が広がったりするかもしれません。
もし、「ほかの疾患の人なんか、自分たちのことを理解してくれないから、交流するだけ無駄」と思っているなら、もったいないかもしれません。
『当事者が語る精神障がいとリカバリー 続・精神障がい者の家族への暴力というSOS』という本のp.43に、とても良い文が書いてあります。
「自分の辛さをわかってもらう一番いい方法は、相手の辛さをわかろうとすることだ、ということです。」
「・・・一方的なただ自分の辛さの理解を求めるのではなく、周りの人たちの辛さにも目を向ける。そのことが、お互いの理解を深め合う好循環をもたらします。理解が進めばもう、『わかった』『わかってくれない』といったことは逆説的にどうでもよくなるはずです。・・・」
自分のつらさをプレゼンできるのは、良い能力だと思います。そして、「相手のつらさを(上から目線ではなく)わかろうとする」のは、それよりも一段上の、良い能力だと思います。
相手のつらさをわかろうとした結果、自分のつらさがわかってくれる人が増えれば、適切な依存先は、今よりもぐっと増えるはずです。
生きづらさJapan