自分の暴言の騒動である人とやり取りさせて頂いたのですが、そのとき「声を上げられない生きづらさ」と言うことを話していた
。
たぶん、それって恐怖心から来るものだろうと思うのですが、そのことについて考えていたときに衝撃的なニュースが入ってきた。
某生きづらさ系団体の性暴力騒動。
元々、当初の発表では「加害行為」としか書いてなかった。
だから、それが具体的に何なのかは外野はわからないし、何でもかんでも具体的に書けばいいわけでもないから、当初はそういうことがあったんだなって感じで様子を見ていた。
そして、そこには勇気ある告発があった。その問題はこれから明るみになるだろう。
他団体の出来事なので詳細に触れる気はないのですが、自分も生きづらさを扱う上で考えさせられる出来事であったのは確か。
性問題を告発するのは、凄く勇気のいること。
一歩間違えば、自分が叩かれるかもしれない。
発言と言うのは諸刃の刃で、必ず良い方向に行くとは限らない。
下手に発言して自分に被害が及ぶなら、おとなしくして我慢した方がいい。
それが「声を上げられない生きづらさ」の根本的な部分なんだろうと思う。
性的な問題は、本当に各所で目に付く。
最近でこそ昔より声が上がってると感じるが、それでも氷山の一角だと感じてて、まだまだ声を上げられない人は数多くいる。
生きづらさを扱っていく上で、声を上げられない人の気持ちを汲み取らないといけない。
それを代弁することもやろうと思えばできるだろうし、代弁しなくても何かできることはあるのかもしれない。
自分が何かできるわけじゃないけど、ただこういうことを考えるきっかけとして各地で議論が起きていければ、「声を上げられない生きづらさ」も少しは緩和できるのかもしれない。
生きづらさに向き合うこと。それが生きづらさ系メディアの責任なんだろうと思う。
自分も完全に向き合えてるかというと疑問形ですが、勇気ある告発した人に何かできることを振り絞って、今の思いを書いてみました。
時間はかかるかもしれないけど、将来すべての生きづらさが緩和されることを祈って。
生きづらさJapan