「あなたにとっての居場所とは何ですか?ひきこもりの当事者の方々に限らず、何らかの生きづらさをかかえている人たちにとって、自分ならではの居場所があることは、心の安らぎを得るうえで大切なことではないかと考えています。孤立せざるを得ない状況に対して、どんな居場所が求められているのか、このアンケートによって多様な居場所のニーズを知り、そしてみなさまに向けて発信していきたいと思っています」
KHJ全国ひきこもり家族会連合会事務局と生きづらさJAPANが共同で企画し、インターネット調査(投稿期間1月6日~2月14日)を行った。
【設問項目】
【回答数】
「あなたにとって居場所とは何ですか?」という設問に、7割超が、「安心できる場所」「人との交流がある場所」「自分がそのままで、居てもいい場所」などのように、自分のありたいと望む心理的な状態や社会的な関係が確保できる、名称のない「場所」や「時間」を回答しているのが特徴だった。
これは、回答者の73%が当事者であることから、ひきこもる人など、生きづらさを抱える人たちがすでに思い描いている現実の、あるいはイメージする「居場所」を念頭に置いて回答しているのかもしれない。いずれにしろ、生きづらさを癒すために、今ある、あるいは望まれる「居場所」がそこに向かおうとする人たちにどのような物理的、心理的要件を備えるべきか、多くの指標を与えるものと思われる。
一方で、「自宅」「自室」「居酒屋」「カフェ」「居場所活動」など、物理的な空間や活動としたものは3割の回答だった。
以下では、「居場所とは何?」への自由記述の回答の中に多く現れたいくつかの語彙を集計して、単に場所を指すものに限らない「居場所」に求められている心理的な、あるいは環境的要件に便宜的に分類して「生の声」を原文のまま転記して提示させていただくことにする。
「設問4の回答」
--設問5の回答
「心安らぐ場所」
--普段から仕事等でストレスを溜めているので、気を休める場所が欲しいから。
「自分にとって安らぎの場所」
--自分がありのままでいられて、安心できる。
「信頼と安心できる場所」
--家ってひとつの集合体の集まりなわけで、そこで同じ様な人達が交わり共に学んで生きていくそんな暖かい場所だと思っている。だから家族のように信頼できるからこそそこに安心が生まれるそんな場所だと思っています。
「ゆったりのんびりと安心して過ごせる場所」
--他者に対しての余分な気遣いであったり、又は他者からの強圧的且つ理不尽と感じられる様な要求や欲求を受ける心配や必要がないと感じられることで、心身両面における余計な疲労感、徒労感を覚えることがないから。
「安心・安全な場所」
--本来の自分でいられるから。
「少人数で安心できる場所。出入り自由な場所」
--それがきっと落ち着くと思うから。
「安心、安全の場所/緊張のないところ/否定せず認め合える人々がいるところ/苦しい経験を語り合えるところ/共感しあえる場所/希望が湧くところ/緊張のないところ/否定せず認め合える人々がいるところ」
--自己肯定の中で前に進めると思います。自分の可能性を信じることからが始まりだと思います。経験を互いに語り合いながら、尊敬と感謝をする中で、自分の苦しい経験が人生を豊かにできる使命に変わると感じます。
「安心できる癒される場所/信じられる仲間と出会い生きる自信を取り戻す場所/生きていく方法を学べる場所」
--生きるためには人とのやり取りが必須である。まずは自分の事を理解してくれる人と出会える場所が必要となる。
「当事者同士が安心してくつろげる場所」
--当事者同士…お互いの気持(悩み・経験)をゆっくり話し合える。行事に参加する。輪が広がる。
「安心して話ができる場所/居るだけで癒される場所/そこに行けば気持ちを切り換えられる時間となり、元気をもらえる」
--ひきこもりについて誰にでも話せるわけではなく、また理解してもらうのは難しい。同じような困難さ、辛さを抱えているからこそ共感してもらえる。
「安心していられる居心地の良い寝床」
--普段寝たきりなので誰にも邪魔されずゆっくりしたいから。
「①安心感がもてて素の自分や本音を出せる場所/②自他の違いを承認し受け入れて、協力し合える場所/③興味あることや、やってみたいことをできる場所/④人との深いつながりを感じられる場所」
--①社会で求められることは自分のほんの一部でしかないのがつらい/②考えや、やることに対して理解を得られることがほぼ無い。少数派は仲間を見つけるのが難しいから/③自力でやってみたいものの、具体的に指導して教えてもらわないと中々やる気にならないから/④社会にでると利害関係いがいの人づき合いが希薄になるため寂しいし、相談や話し相手がいないと孤独感が増して挫折しやすいから。
「安心」
--安心が何より大切だと思うから。
「安心できる場所。安心とは、お互いが尊重しあえること。自分だけが尊重されていてはダメ。自分も相手を尊重すること」
--一方的な関係では(支援される的な)居場所では居場所とは思わない為。
「安心して出掛けていくことができる場所。そこには安心できる仲間かいる」
--家のなかではなく出掛けていくことが大切だと思うから。
「自分がそのままで、居てもいい場所。自分を解放できるから」
--自分のペースでいられる場所。楽だから。
「自分のペースで過ごすことができる場所」
--どちらかというと人の顔色をうかがうところがある私は、自分のペースが守れる場所だと安心して過ごすことができるから。
「肉体的・心理的な安全がある。基本的には、何事も強制されない。自分の意思のもとで、その場の過ごし方を選べる」
--何かを強制されることや圧力を受けることに疲れてきたので、そういうものがある場所を「居場所」と呼ぶのには抵抗感がある。逆にそういうものがない場所こそ居場所になりうると思う。
「自分が主体的に選択することを通して、人のお役に立つ場所であり、時間」
--嫌々やらされて働いても、ただ生活のためというだけだが、主体的な選択を通した社会貢献は、やりがいを感じるから。また、興味・関心があることを共有し合える時、そこには安心が生まれ、信頼関係が育まれるから。
「存在できる場所」
--それ以上の意味なし。
「居場所のことをいつも考えていました/いつも「心の居場所」がほしかったです/自分に向かって話してくれる、あたたかい人/ああこの人がいればだいじょうぶなんだと思える人がいる、それが「心の居場所」です」
--ひとり暮らしの部屋は仮暮らしだから居場所ではない、実家はもう居場所ではない/ひきこもりなので友達がいません/ネット上で音楽に関する知り合いができても、お会いしませんかと言われると、行きたいのに行けなくて塞いでばかりいました/誰かと繋がりたい、新しく人に会いたい、と強く願っていました/でも、仕事をしていない自分に引け目を感じて、会いになど行けませんでした/お仕事はなにをされているのですかと聞かれるのがこわくて、新しく人に会えませんでした/わたしは昨年9月から曲を作るようになって、ひきこもりコミュニティラジオで曲が紹介されたことで、親の会や居場所づくりの活動があることを初めて知りました/ひきこもりの方々を応援する事業がこんなに世の中にあることを初めて知りました/「居場所づくりのための会です」というポスターをいくつか見ました。でもひきこもりなので、行けないんです/「ひきこもりのための講演会をします」/講演をされても、有り難いなこんなに考えてくれているんだなと納得するだけで、わたし個人が救われるわけじゃない。全体に向かって話されても、結局わたしと繋がってくれるわけじゃないからその日がただ通り過ぎていく/わたしと話してくれる、わたしと繋がってくれる人が必要なんです/それが、居場所です。
「能力など自分を必要としてくれる場所」
--正直自分に合った場所は自分でも分からない。人の事を深層心理レベルでは信用しきれていないし、自分の価値……
「①安心感がもてて素の自分や本音を出せる場所(……)」
「最低限社会とか人間との紐帯が途切れず、そこから承認されているような感覚を得つつ存在できる場。例えば自室に一人でいることもぼくにとっては居場所にいることだけれど、それは親や兄弟などと最低限良好な関係を築いていて、それによって支えられてなりたっている居場所という気がする」
--居場所は、居るということに関して肯定感を得ることができる場だと思うので。その意味では、「~しながら居る」という形で居ることを許されるというのも居場所の形の一つだろうけど、「端的にただ居る」ということが承認されるようなことが理想的なのかもしれないなあとも思う。
「寿命が尽きるまでの存在確保の場所」
--自分にとっては何も無意味で死ぬまでの暇つぶしにしか思えないから。
「自分の存在を肯定してくれる場所。気の合う仲間がいて、何でも言い合える」
--自分が自分でいれるということが居場所の条件だと思います。
「(……)自分だけが尊重されていてはダメ。自分も相手を尊重すること」
「存在が認められる場所」
--現時点で、「なりたい自分に向かって生きている」という、自分なりの「リカバリー」を目指しており、そのために何らかのかかわりを持ちたいと思っているメンバーとの交流がしたい。
「自分が居ても構わない場所」
--自分の心から「その場に居ても無意味、居てはいけない」と感じた場合は立ち去らなければ気が済まない為。。
「自分自身の限りある時間を好きな事に有効に使える場所」
--居場所がある事によって、多趣味になるだけではなく、人脈作りに大変役立っているからである。
「語り合い、笑い合いながら、やるべきこと、やりたいことが見えてくる場所であり、新しい気づきを得られる場所」
--批判されたり否定されたりすることなく、安心して自分の思いを出せる場があることで、前に進む方向が定まり、元気をもらえるから。
「心のもやもやを発散できる」
--お喋りするとすっきりする。
「安心して話ができる場所(……)」
「話を聞いてくれるところ」
--以前は当事者会に行く事もありましたが、話をするひとは一部で、私が私が、と自分の主張の押し付け合いみたいな感じだったので、 1対 1でしかコミュニケーションがとれない私にはきつかった。大人数を集めるのも大事だとはおもいますが、合わない場合は辛い。よく有りがちな、ひきこもりを脱出した話を聞いても、私とは違うと思ってしまう話が多くあり、いまいちピンとこないため、結局足を運ばなくなる。
「気を置かずに話せる人といられる時間」
--人と楽しく話す機会が少ないから。
「メンタルネタが気兼ねなく話せて、オタク話もできる気楽な居場所」
--参加する人が全員、メンヘラなので嫌な言葉や表現を知っているから。例えば、健常者が挨拶のように「職業」や「在籍している職場」を聞くような面倒くさいところがない。「秋葉原」で当事者会をやっているため、街の個性で自然にそうなるから。
「デイケア→馬鹿話する時間」
--生きていていいと思える時間は安心できて安定している時間で平和だから。
「参加することに緊張するが、心の負担を軽くする場所・発見や気付きを与えてくれる場所」
--居場所に限らず外出が苦手なので、参加することに苦労しているが、当事者と話すことで自分の心が軽くなる。心が軽くなると様々な気付きや発見がある。また他の参加者と話す中で、相手の言葉・自分の言葉の中からの発見・気付きが得られる。様々な具体的な情報も得られる。
「気のおけない仲間と話せる時間」
--私自身その場に応じて自分を演じ分けたり、自分を作り込みすぎたりする傾向があります。素の自分でいられる仲間と話せる時間は、生きづらさを忘れられる束の間の一時だからです。
「仲間同士が集う場所」
--同じ悩みなどを持つ仲間の話や情報を得ることで学びがあるのと、元気を貰うことが出来る。前向きになれる。
「人との交流がある場所であり、喜怒哀楽を共有できる関係」
--自分は人と関わるのが得意ではないけど、しばらく人と関わっていないと、とてつもない孤独感と不安感が湧いてくる。一人が楽だと言いながら毎日人と会っていたのが幸せなことだと気づいたから。
「(……)信じられる仲間と出会い生きる自信を取り戻す場所(……)」
「お互いの個性を尊重し合える仲間がいる場所。一般的には言いづらい悩みなども共感し合える仲間のいる場所。そして共通の目標を持った仲間が集まる場所。弱みはカバーし合えて、良い意味で刺激し合い向上心を育める関係性があること」
--よくある茶話会的な居場所にも良さはありますが、ある程度状態が上向いた時に、その先に進む為に必要な刺激を得づらいところがある。大きく傷つかない代わりに大きな成長の機会は得られないように感じています。
「(……)気の合う仲間がいて、何でも言い合える」
「(……)そこには安心できる仲間かいる」
「気のおけない仲間と話せる時間」
「興味・関心があることを分かち合える場所であり時間」
--家族の人間関係が良好だから。
「大勢だと苦手なので一対一の大切な人と一緒に遊ぶ事」
--HSPと言う病=個性持ちの為。
「(……)ああこの人がいればだいじょうぶなんだと思える人がいる、それが「心の居場所」です」
「ほどよい人との距離感があり、親しくも近すぎず、離れているがつながっている。そんな感覚が得られる場所。喜びも悲しみもまずは受け止めてもらえる人間関係」
--過保護・過干渉な両親のもとに育ち、「自分でできるのに」「自分で決めたいのに」と閉塞感があったけれど、実家を離れ、時々帰るという形になり、過保護・過干渉の割合が相対的に減り以前より良好な関係が築けるようになったという経験から。
「Twitter と自宅」
--Twitter は、同じような当事者など、自分を優しく受け入れてくれる人たちがいます。常に誰かが発信しているので、Twitterを見れば誰かと繋がれるという安心感があります。自宅は、大切に飼っている猫たちがいます。猫たちが自分を支えてくれています。
「信頼できる人と過ごす時間。その人と過ごせるなら場所は問わない」
--気を遣わずに済むので心が落ち着く。
「大学のОBと飲む行きつけの居酒屋」
--何をしても許される、怒られない、尊厳を蹂躙されない、愛を感じる。
「お互いの生き方を肯定し応援する、フラットな場」
--生き辛さから解放されるためには、何よりも自尊心が復活して、自然に自己受容が起こることです。そのためにはマウントの取り合いをせず心を啓くこと、安心感のあることが大切だから。
「気の合う仲間がいて、何でも言い合える自分の存在を肯定してくれる場所」
「(……)否定せず認め合える人々がいるところ」
「(……)自他の違いを承認し受け入れて、協力し合える場所」
「最低限社会とか人間との紐帯が途切れず、そこから承認されているような感覚を得つつ存在できる場」
「(……)出入り自由な場所」
「やらなきゃいけないことやプレッシャーや世間体から解放されて、許してくれる人がいる場所・時間」
--自分の生きづらさは、自分がのろくて、時間に追われたり、人や世間が前に進むスピードに置いていかれる感じがすることだから。一瞬でも忘れたい。人がいるとなおよい。
「心が自由になれるところ。くつろげる場所でくつろぎの時間をすごせるところ。」
--縛られないところ、自由のあるところが居場所と感じるから。
「自由度が高く、ほっとできる所」
--最低限のルールやマナーを順守して、自分の好きなことをしたいから。
「home」
--落ち着く、居心地がいい、素でいられる
「居心地の良い寝床」
「仕事でも趣味でも家庭でも居心地の良い場所」
--脅かされる何かが迫っていないことを確認できているので、その時点ではそこが居心地の良い場所(時間)なのではないかと、私は思います。だから、同じ場所でも状況によって居心地が悪くなれば、そこは私の居場所ではないと感じるのだと、私は思うのです。
「当事者同士が安心してくつろげる場所。家庭内では家族でくつろげる居間や食堂など。家庭では、夕食時やその後のだんらん」
「当事者が気兼ねなく、くつろげる場所」
--自分らしさを出せる場所があり、それぞれの個性を肯定することで前に進む意欲が芽生えるのではないか。
「家、趣味を通して知り合った人のお店」
--何となくホッと出来る。
「(……)くつろげる場所でくつろぎの時間をすごせるところ」
「若者の居場所は必要だと感じていても実際には全く立ち上げることができないのが現実/親自身の例会を継続するだけで精一杯というのも情けない感じです。あまりに親自身のゆとりがなさすぎると感じています。頑張って立ち上げていらっしゃるところもあるのに工夫を考えなければと思います」
--若い人も含めて集まった人たちの想いを知るということは重要なことであると思います。人と人の繋がりを作っていくことができる、 mailでなく、実際に顔を合わせて話をするということが大切だと思うからです。
「メンタルもっている方、生きづらさを感じている方を集めて色々するサークルのお手伝いをしております。そこでの活動時間が私にとっての居場所となっています」
--居心地がよく、家・作業所とは違う良さがあります/病状に苦しんだ時、助けとなったのがサークルの友人でした/一人だとどうしても嫌な考えが頭を巡ってしまいます/その嫌な考えを消したのが、サークル活動の予定を先々までいれて、その日までのわくわくです。また参加してくださった方から、またやって欲しいとの言葉も励みになりました/病気の方は寛解にはまだ時間がかかりますが、サークル活動始める前と比べるとだいぶ変わっている実感があるからです。
「就労移行支援B型作業所、当事者会の二種類あります」
--当事者会は「ひき桜」、「ひき町」、「ゆるり会」、「ひ老会」、「庵」です。
「一人暮らしですが、自宅アパートです。ヘルパー、訪問看護の支援を受けていますが、部屋に人が入ってくるのは落ち着きません/彼等の支援には感謝していますが、お帰りになるとホッとしてしまいます」
--私は被虐待児です/実家からは18で就職を機に逃げました/実家にいる時は一人でいることはまずなかったですし、怯えてばかりの毎日でした。その後遺症をまだ引きずっていることと、それから 30年以上ずっと一人で暮らしているので/自分のペースを乱されたり、他人の体臭(コロン等含む)が部屋に残るのが嫌です/重度鬱を発症する以前はそこまで神経質ではありませんでしたが、虐待の後遺症と長年の1人暮らしで自分なりの生活ペースが出来上がってしまっていることが理由ではないかと思います。
「家」
--知らない人に会わなくて済む。
「完全に一人になれるところ」
--人目が気になって誰かがいると思い通りの行動ができなくなる。人に対する不安と緊張が表に出て挙動不審に見えてしまうので誰にも会いたくない。
「1自室で一人きままに過ごすこと。2お気に入りのカフェで時間を気にせずのんびりすること」
--どちらも時間の拘束が少なく自由気ままな時間を送れるためです。家ではゆっくりできないし、干渉されているから。
「アナログゲームの置いてある机のそばのイス」
--自分の力だけで勝負でき、他人の干渉を受けないから。
「1 通常一般的に考えられる「社会参加」「社会復帰」が無理だったため。カウンセリングに行けなかったため、カウンセリングに時間やエネルギーやお金を避けなかったため。出来たらよかったこと、行けたらよかったところは、色々あったように思う。それが無理だったため、残るは居場所だった、というのも事実だったと思う/2 上記の1の理由に近い。「居場所活動ならできる」であり、「居場所活動しかできない」という側面でもある/いずれにしても、消極的な動機や理由である。また、引きこもる状態や生きづらさのさなかでは「何かをやらなければ」「何も自分はしていない」という焦りの気持ちなどが強いため、それに突き動かされて、居場所に参加するところもあったように思う」
--(理由同じ)
「職場(仕事中)です」
--他に行くところがないから。ただ机に座っているだけで、金がもらえるから。
「物理的にでは無く、精神的に落ち着く心の拠り所。建物でも無く、部屋や空間でも無く、誰かが居なくても構わない。それが有るだけで生きて行く希望や勇気を与えてくれるような存在。クリスチャンの私にとって、それは信仰です」
--人間関係を築くことに何よりの「生きづらさ」を感じるので。自分ひとりの世界が私にとってどれだけ大切かを理解して欲しい。それを空気読めないとか、協調性が無いとか、集団行動が出来ないとかで隅に追いやらないで欲しい。一人が好きだけど、独りぼっちは好きじゃない。物理的なヒトリと、精神的なヒトリが私にとっては全く違うという事を解って欲しい。
「攻撃されない、マウントされない場所。しかもお金がかからない場所だとなお良い」
--経験から。
「人を上下関係で決めつけない、討論しない、固定観念をできるだけもたない人々が集う場所」
--折に触れてネット検索をしていますが、なかなかそういった場所がみつけられないため。故に現時点で私の居場所はありません/みつけられないことの他に、SNS利用の自助や、開催場所の時間帯(圧倒的に夜が多い、専業主婦のため平日の昼間主催が望ましいが、そういった時間帯が殆どない)場所が遠すぎて、電車に乗るのも一苦労の自分には出かける事ができないなど、物理的な問題も含んでいます。
息子がASDかつ不登校なので、母の私はカサンドラ症候群で居場所はないです。実家が遠方でなければ居場所は実家になっていたかもですが…」
--いつも理不尽で文句ばかり言っている、ひきこもり息子がいるので、やすらげる場所はないです。
「家族として、居場所は「ぼーとできるところです」と媒体に掲載しています。いろいろの当事者さんが来てくれていますが、コトコトと好きなこと ( 編み物、手芸など ) をする方、家族とおしゃべりする方、とあります。当事者さんに聞いたことはありませんが、好きだから、来ることが出来ているものと思います」
--敢えてつながりを作ろうとはしていませんが、自由にできていることかも知れません。
「これまで一度も居場所があったことがないのでわからない」
--(理由同じ)
「なにもしなくても居られる空間、強いて言うなら喫煙所っぽい感じ。お金もあまり使わずに居られる場所」
--お金持ってないので。
「肩の力を抜いて、呼吸がしやすい場所。緊張しない、疲れない場所。大切に時間を使える場所」
--今ある精神科のデイケアに週5日通っています。年齢が高い人が多く、1.今の若い人たちは…のようなフレーズが多かったり、2.過干渉な人が多く、ものすごく気が疲れています。
「現金収入を得ることを希望する当事者のために、在宅でできそうな仕事を回せるようにしてほしい」
--長期にわたって社会から孤立していることもあって収入の道に繋がれず長期にわたって社会から孤立もあって、暮らしが困窮している。暮らしが安定しないことには次に進めない。
「人の人数に関わらず、静かで、感情の起伏が激しい人がいない所」
--私は、HSP(とても敏感な人びと)で、精神疾患も持っていますが、特に、人の感情や、会話・大きい音などの聴覚や、匂いなどに敏感なので、人がたくさんいてワイワイガヤガヤというのが私には騒音でしかなく楽しいとも感じないから。
「家庭、会社、友人との集まり、当事者会活動」
--今まで興味の範囲が狭くて居場所が少なかった。対人関係を克服しようと、ひとつの居場所に依存しないようにすると人間関係が円滑に運ぶようになり、前より居場所があって、暮らしがひとつの居場所に固執しないほうが、精神的にも安定しました。
(編集 上野亨二)
(イラスト Yoc.s)
私は双極性障害の当事者でもあるのですが、かつてうつ病の当事者会を6年運営していました。そこで最も心掛けていたのは「安心・安全」なのですが、今回のアンケートの結果を見て、「安心・安全」を求めている人が非常に多く、自分が当事者会を運営していた当時に感じていたことを皆様も同じように感じているのだという印象を持ちました。また、多くの人が「自分らしく」いられる場所を求めていることも伝わってきました。
安心で安全であることは、自分らしくいられるために絶対に必要です。自分らしくいられる場所が今世の中に何より求められているのだと感じています。
居場所というとき、家などのハウジングファースト的な居場所をイメージする人もいれば、コミュニティーなどのサードプレイス上の場所を描く人もいるのでしょう。
一人ひとり、その捉え方はそれぞれ違うと思います。そのことは、生きづらさJAPANが主戦場としているサイト上も居場所の一つになるということになります。
私たちは、居場所を求める人の支えになれるよう、訪れる人が自分らしくいることのできるサイトを目指したい、そんな思いを改めて強くした次第です。
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アンケートにご回答いただいたみなさまにお礼申し上げます。みなさまに出会いの場所や安らぎのときが訪れますように。
(KHJ全国ひきこもり家族会連合会事務局・生きづらさJAPAN)
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